今日は5月3日、憲法記念日だ。
昭和の子どもにとって、この日はゴールデンウィークのど真ん中にある「なんとなく地味な祝日」という印象だったかもしれない。5月4日は当時まだ祝日ではなく平日だったから、翌日のことが少し気になる、そんな中途半端な位置にある休日だった。
でも、昭和42年(1967年)に誕生したある人形にとって、5月3日は特別な日だ。
リカちゃんの、誕生日。
公式プロフィールによれば、香山リカ、11歳、牡牛座。誕生日は5月3日。ゴールデンウィークのこの日に生まれた、という設定になっている。
醤油工場から生まれた、日本の女の子の夢
リカちゃんが最初に店頭に並んだのは、昭和42年(1967年)の夏のことだ。当時の価格は1体600円から、中心価格は750円。今の感覚では安く聞こえるが、昭和40年代の750円は子どもがそう簡単に手が出せる金額ではなかった。
それでも女の子たちは夢中になった。
リカちゃんが生まれた背景には、少し意外な話がある。もともとタカラは、アメリカのバービー人形を入れるための「キャリングケース」を作ろうとしていた。ところが、バービーのサイズに合わせてドールハウスを作ると、日本の住宅事情では大きすぎて置けない。それならいっそ、日本の子どもの手の平に収まるサイズの、日本独自の着せ替え人形を作ってしまおう──そういう発想の転換から、リカちゃんは生まれた。
身長21センチ。少女漫画のヒロインのような大きな目。そして「小学5年生」という、遊ぶ子どもたちと近い年齢設定。当時のバービーやタミーちゃんとは明らかに違う、日本の女の子のための人形だった。
初代リカちゃんが作られた工場の話が、また面白い。発売当初はまだ専用の製造工場が整っておらず、千葉県のある醤油工場が生産を引き受けたのだという。醤油を作っていた工場の近所の主婦たちが急遽集められ、約1ヶ月間、顔の描き方や植毛の技術を猛特訓した。そのため初代リカちゃんの顔は手描きで、右利きの人が描きやすいように、目線が少し左を向いているのだ。
醤油の香りが漂う工場で、昭和の主婦たちが一体一体手で描いた。あの流し目は、そんな場所から生まれていた。
「リカちゃんはいますか?」
発売の年、タカラの電話に一本の電話がかかってきた。
「リカちゃんはいますか?」
小さな女の子からの電話だった。受けた女性社員は、子どもの夢を壊してはいけないと思い、とっさにこう答えた。「こんにちは、私がリカよ」。
女の子は大喜びした。その話が口コミで広がり、「リカちゃんと直接話せる」という噂が日本中の女の子の間に伝わっていった。問い合わせの電話が殺到し、やがてタカラは専用回線を設けた。翌年、昭和43年(1968年)には「リカちゃんでんわ」が正式にスタートした。
リカちゃんの声を担当したのは声優の杉山佳寿子さん。アルプスの少女ハイジなどでも知られるこの人が、1997年まで実に30年間、リカちゃんの声を演じ続けた。
昭和の女の子たちは、本当にリカちゃんと話せると信じていた。そしてその電話の向こうに、30年間、同じ声が響き続けていた。
昭和の女の子が「なりたかった自分」
リカちゃんが他の人形と決定的に違ったのは、プロフィールがあったことだ。
名前は香山リカ。苗字は女優の香山美子と加山雄三から取られた。パパはフランス人の音楽家で、ママは日本人のファッションデザイナー。国際的でおしゃれな家族設定は、昭和40年代の女の子たちにとって憧れそのものだった。
人形に名前があり、家族がいて、誕生日がある。まるで本物の友達のように扱えるこの設計が、日本の子どもたちの心をつかんだ。発売からわずか2年後の昭和44年(1969年)には、それまでトップだったアメリカのバービー人形を売上で追い抜いた。
昭和を通じて、リカちゃんは何度もモデルチェンジを繰り返した。昭和47年に2代目、昭和57年に3代目、昭和62年に4代目。それぞれの時代の女の子の「こうありたい」という姿を、リカちゃんは少しずつ形を変えながら反映し続けた。
累計販売数は6000万体を超えている。日本の女の子の数より、はるかに多い。
おわりに
5月3日は憲法記念日だ。「基本的人権の尊重」を謳うこの日に、日本中の女の子たちの夢を体現した人形が誕生日を持っている。それが偶然なのか、誰かの計らいなのかは知らない。
リカちゃんを持っていた女の子たちは今、私と同世代か、少し上の世代だろう。あの小さな21センチの人形に、どんな夢を重ねていたのだろうか。
醤油工場で手描きされた流し目のリカちゃんは、今日も5月3日という誕生日を、昭和の記憶の中で迎えている。