今日は5月9日、アイスクリームの日だ。
明治2年(1869年)のこの日、横浜・馬車道通りの「氷水屋」が日本で初めてアイスクリームを製造・販売した。当時の名称は「あいすくりん」。その値段、1人前2分。現代の価値に換算すると、およそ8000円。
8000円のアイスクリームだ。
幕末から明治の日本人がそれを口にしたとき、いったいどんな顔をしたのだろうか。冷たくて、甘くて、これまで食べたことのない何かが口の中に広がる。
その「8000円のあいすくりん」が、昭和の子どもたちの手の中に収まる10円や20円のアイスになるまでに、100年の歴史があった。
でも今日書きたいのは、その歴史よりも、もっと小さな話だ。
あの頃の、放課後のことを書きたい。
テーブルの上の、100円玉2枚
小学生の頃、1日のお小遣いは50円から100円だった。
学校から帰ると、母親の姿はなかった。パートの仕事に出ていたから、家の中はいつも静かだった。玄関を開けると、シンとした空気と、どこか懐かしいにおいがした。
ランドセルを下ろして台所に行くと、テーブルの上に必ずそれがあった。
簡単な手紙と、100円玉が2枚。
「おかえりなさい」という母の文字。1枚は私の分、もう1枚は妹の分。
それだけのことだ。長い言葉は何もない。でもあの100円玉2枚が、「今日も仕事に行ってくるけど、ちゃんとあなたたちのことを思っているよ」という母の気持ちそのものだったと、今になってわかる。
当時の私はそんなことを考えもしなかった。ただ100円玉を握りしめると、体の中に火がついたように外に飛び出したくなった。
プラバットとカラーボールを持って
玄関の横に置いてあったプラスチックのバットとカラーボールを手に取る。
昭和の子どもの定番の遊び道具だ。本物の木製バットは高くて危ないから、軽くて柔らかいプラスチック製のバットとゴム製のカラーボールがセットで売っていた。あの取り合わせは昭和の放課後の象徴だったと思う。
学校のそばの公園まで走った。走りながら、すでに頭の中では試合が始まっていた。
公園に着くと、友達がもう来ていた。ランドセルがベンチの上に無造作に積まれている。「遅いぞ」と誰かが言う。「今来たばっかりだろ」と誰かが言い返す。そういう会話が毎日繰り返された。
王さんの一本足と、淡口選手の「おしりプリッ」
バットを持つと、誰もがあのポーズを真似た。
王貞治の、一本足打法だ。
左足を高く上げて、ぐっとタイミングを合わせてバットを振り下ろす。「世界の王」と呼ばれたあの打撃フォームは、昭和の子どもたちにとってあこがれそのものだった。誰もがやってみる。でもバランスを崩してよろけて、笑いが起きる。それがまた楽しかった。
もう一人、必ず誰かが真似したのが淡口憲治選手だった。
読売ジャイアンツの外野手として活躍した淡口選手の打席での構えは、独特だった。バットを構えるとき、腰をひねるようにして「おしりをプリッ」と出すあの仕草が、子どもの目にはたまらなくおかしく見えた。真似すると必ず笑いが起きる。誰かがやるたびに「プリッ!」「プリッ!」と声が上がり、公園が笑い声に包まれた。
毎日やった。毎日笑った。同じことを何度繰り返しても、飽きることがなかった。
駄菓子屋のホームランバー
ひとしきり野球で遊ぶと、公園のそばの駄菓子屋に吸い込まれるように入っていった。
昭和の公園の近くには、たいてい駄菓子屋があった。小さな店で、ガラスケースの中にカラフルな駄菓子が並んでいる。奥のおばちゃんは、子どもが来ても急かさない。じっくり選んでいいよ、という空気があった。
冷凍ケースの前に立つと、白い霧が漏れてくる。中を覗き込む。
ホームランバーを選ぶ。
昭和35年(1960年)に協同乳業が発売したこのアイスには、棒に「当たり」の焼き印が押してあった。「当たり」が出れば、お店でもう1本もらえる。みんな食べ終わった棒をそっとめくって、息をのんで確認する。「当たりだ!」という声が上がると、その場が一瞬盛り上がる。「ずるい」と誰かが言い、「運だろ」と誰かが言い返す。
100円あれば、ホームランバーを買っても十分おつりが来た。残りのお金で何を買うか、それもまた大事な選択だった。
毎日同じことの繰り返しが、なぜあんなに楽しかったのか
学校から帰る。100円玉を握りしめる。バットとボールを持って公園へ走る。王さんの真似をする。淡口選手の「プリッ」で笑う。駄菓子屋でホームランバーを食べる。
毎日毎日、同じことの繰り返しだった。
でも、本当に楽しかった。
なぜあんなに楽しかったのか、大人になってから何度か考えたことがある。たぶんそれは、毎日が「同じようで違った」からだと思う。今日の王さんの真似は昨日より上手くいった。今日は当たりが出た。今日は淡口選手の真似で一番笑いが取れた。そういう小さな違いが、繰り返しの中に宝のように散らばっていた。
そして何より、あの場所にはいつも誰かがいた。
おわりに
明治2年に8000円だったあいすくりんは、昭和にはコイン1枚で買える食べ物になっていた。
テーブルの上の100円玉2枚。プラバットとカラーボール。王さんの一本足打法と、淡口選手の「プリッ」。駄菓子屋のホームランバーの当たりくじ。
あの放課後は、何も特別なことなどなかった。母親の手紙に深い意味を見出すこともなく、ただ100円玉を握って走り出していただけだ。
でも今、それがどれほど豊かな時間だったかが、ようやくわかる。
あなたの放課後には、何があっただろうか。