今日は5月13日。
この日付を調べていて、一つの火災事故のことを知った。
昭和47年(1972年)のこの日、深夜10時27分。大阪・ミナミの繁華街、千日前にあるデパートビルの3階から火の手が上がった。
千日デパート火災。
死者118人・負傷者81人にのぼる人的被害を出し、戦後日本のビル火災として最大の惨事となった。
正直に言う。私はこの事故のことを、ほとんど知らなかった。
昭和44年(1969年)生まれの私は、この火災が起きた当時わずか3歳だった。事故そのものの記憶はまったくない。でも今年の冬、ある場所でこの火災のことが話題に上がり、初めてその全貌を知ることになった。
湯島天満宮から、上野松坂屋へ
今年の1月のことだ。
大学受験を控えた娘の合格祈願のため、家族で湯島天満宮へ参拝に行った。学問の神様・菅原道真を祀るこの神社には、受験シーズンになると合格を祈願する絵馬が鈴なりに並ぶ。娘のために手を合わせ、家族それぞれが心の中で願いを込めた。
その帰りに、上野の松坂屋へ立ち寄った。
エレベーターで上層階のレストランフロアへ。昭和の大型デパートらしい、広々とした食堂だ。白いテーブルクロス、ウェイトレスさんの丁寧な接客。平成も令和も、この場所だけはあの頃の空気が残っているような気がした。
小学生の4男が、メニューをひらいて迷わず言った。
「お子様ランチ!」
旗が刺さった小山のライス、エビフライ、ハンバーグ、スパゲティ。あの見慣れたお子様ランチが運ばれてきた。時代が変わっても、子どもが注文するものは変わらない。思わず笑ってしまった。
食事をしながら、ふと窓の外を眺めた。屋上のほうに目をやりながら、こんな話が出た。
「松坂屋の屋上遊園地、お父さんが子どもの頃に何度も行ったんだよ」
小さな観覧車、豆汽車、飛行機型の乗り物。あの屋上の風の感触が、急に記憶の中からよみがえってきた。
「今はもうないの?」と誰かが聞いた。
「いつからなくなったんだろうね」と私は答えた。
その帰り道、スマートフォンで調べてみて、初めて知ったのだ。屋上遊園地が姿を消していった背景に、千日デパート火災という大きな出来事があったことを。
深夜の惨事
昭和47年5月13日は土曜日だった。
閉店後の夜、3階では売り場の改装工事が行われていた。出火後、火と煙はエスカレーター開口部や空調ダクトを伝って上層階へと急速に広がっていった。火災発生当時、7階で営業していたキャバレーには何の通報もなく、181人の客やホステス、従業員らが逃げ遅れた。煙に巻かれ、窓から飛び降り、救助袋の使い方を誤って転落した人もいた。
近くで菓子店を営んでいた女性は後年こう語っている。「向こうの千日前商店街のアーケードの上に人が『ボトン』と落ちたのを見ました。落ちる時は『キャー』って言って両手バタバタしてたけど、下に落ちたら『どすん』じゃなくて、『ばちゃっ』っていう音が……」。
死者118人。戦後最悪のビル火災だった。
火災が変えた、昭和の風景
この千日デパート火災の翌年、熊本の大洋デパートでも100人を超える死者を出す火災が起きた。
相次ぐ惨事を受けて、消防法が改正された。建物の屋上の半分を、火災時の避難場所として確保することが義務付けられたのだ。
その結果として消えていったのが、デパートの屋上遊園地だった。
昭和30年代から40年代にかけてが全盛期だった。小さな観覧車、メリーゴーラウンド、豆汽車、飛行機型の乗り物、ゲームコーナー。休日に家族でデパートへ行き、大食堂でお子様ランチを食べて、屋上遊園地で遊ぶ。それが昭和の「デパートの定番コース」だった。
消防法の改正で屋上の半分が避難場所になると、大型遊具の設置スペースが取れなくなった。さらにテーマパークやゲームセンターの台頭が追い打ちをかけ、昭和の終わりごろから屋上遊園地は次々と姿を消していった。
松坂屋の上野店の屋上遊園地もいつしかなくなった。私が子どもの頃に何度も遊んだあの場所は、今はもうない。
お子様ランチは、変わらなかった
それでも、松坂屋のレストランは残っていた。
4男が頬張るお子様ランチを見ながら、思っていた。あの旗の刺さったライスの形も、エビフライの大きさも、あの頃と大して変わらない。子どもが「お子様ランチ!」と迷わず注文するのも、変わらない。
変わったものと、変わらないものがある。
屋上遊園地は消えた。でもデパートのレストランで、子どもがお子様ランチに目を輝かせる光景は続いている。昭和の子どもだった私が経験したあの「特別な日の記憶」を、令和の4男もきっと同じように感じているはずだ。
おわりに
昭和47年5月13日の夜、大阪のデパートで118人が亡くなった。
3歳だった私にその記憶はない。でも今年の冬、上野松坂屋のレストランで息子のお子様ランチを眺めながら屋上遊園地の話をして、帰り道にスマートフォンで調べて、初めてこの火災のことを知った。
あの惨事が消防法を変え、消防法の改正が屋上遊園地の風景を変えた。昭和の出来事が、こんなにも身近なところに繋がっていたとは思わなかった。
「昭和の今日は何があった日?」を調べていると、時々こういう発見がある。知らなかった事実が、自分の記憶のどこかにひっそりとつながっている瞬間。その感覚が、このシリーズを続ける理由の一つになっている。