今日は5月15日。
この日付には、昭和の子どもにとって特別な意味があった。
コロコロコミックの発売日だ。
昭和52年(1977年)5月15日に創刊されたこの漫画雑誌は、昭和54年(1979年)4月号から月刊化され、以来ずっと毎月15日に書店に並んだ。今日という日付は、あの分厚い雑誌を両手に抱えて書店を飛び出した、昭和の子どもたちの記念日でもある。
ドラえもんがテレビに来た、あの春
私がコロコロコミックを買い始めたのは、小学4年生の頃だった。
昭和54年(1979年)4月2日、テレビ朝日でドラえもんのアニメが始まった。月曜から金曜、夕方18時50分から19時の10分間。学校から帰ってランドセルを投げて、テレビの前に飛びつく。あの10分間は、昭和の子どもの放課後の中心だった。
アニメが始まると同時に、コロコロコミックの存在を知った。書店に行くとあの分厚い雑誌が並んでいる。中を開けるとドラえもんがたっぷり詰まっている。しかも他にもたくさんの漫画がある。
「これだ」と思った。
以来、毎月15日は書店に直行する日になった。
二人の編集者が作り上げた、あの雑誌
コロコロコミック誕生の裏には、小さくて熱い物語がある。
仕掛けたのは小学館の学年誌「小学一年生」の副編集長だった千葉和治だ。「小学生が読む、本当の意味での漫画雑誌を作りたい」という夢を持ち、その言葉に藤子・F・不二雄が感化された。「自分の全ての作品の掲載権を預ける」とまで言って協力を申し出た。
編集部はたった二人だった。二人で企画し、二人で500ページを超える創刊号を作り上げた。
昭和52年5月15日、コロコロコミック創刊号が書店に並んだ。表紙には「コロコロコミック」という誌名よりも大きな文字で「ドラえもん」と書かれていた。
創刊当初は季刊、やがて隔月刊、そして昭和54年4月号から月刊へ。毎月15日に翌月号を届ける、あのリズムが生まれた。
「炎のコマ!」と叫びながら
コロコロで夢中になった漫画がもう一つある。
**「ゲームセンターあらし」**だ。
主人公の石野あらしが、ギャラクシーウォーズやインベーダーゲームなどのアーケードゲームで「超熱血必殺技」を繰り出しながらライバルと戦う漫画だ。中でも最大の必殺技が**「炎のコマ」**。1秒間に200万回以上の超スピードでレバーを動かすことで、ゲームの処理速度を上回り自機を消してしまうという技だ。技を放つとき、あらしは大きくジャンプして逆立ち状態でコントローラーに向かってぶちかます。
当時の小学生はみんな真似した。ゲームの前で「炎のコマ!」と叫んで、超高速でレバーをガチャガチャ動かす。もちろん何も起きない。でもやらずにいられなかった。
あの頃、私がよく通っていた場所がある。
倉庫か工場の跡地を利用した、広い建物の中に大量のテーブルゲーム機が並んでいる場所だ。少しブームの去ったゲームを格安で遊ばせるビジネスで、1回30円から50円でプレーできた。正規のゲームセンターよりずっと安い。お小遣いが少なくても、長く遊べた。
薄暗い建物の中に、ずらりと並んだテーブルゲーム機。画面の光だけが照らすあの空間に、小学生が群がっていた。
私もギャラクシーウォーズの前に陣取り、「炎のコマ!」と小声で叫びながらレバーを動かしていた。当然うまくはならないが、それでも毎回通った。あの独特の薄暗さと、電子音と、30円玉を握りしめていた感触が、今でも手の中に残っている気がする。
毎月16日の教室
コロコロの発売日は毎月15日。
15日に購入して、翌16日に学校へ持っていく。すると友達も同じコロコロを持ってきている。「読んだ?」「読んだ読んだ」「ゲームセンターあらし、今月すごくない?」「ドラえもんの道具、使いたいな」。
そういう会話が、毎月16日の教室では必ず起きていた。
みんなが同じ雑誌を読んでいるから、話が通じる。「あのシーン」と言うだけで伝わる。「炎のコマ」と言うだけで盛り上がれる。コロコロコミックは漫画雑誌であると同時に、昭和の小学生の「共通言語」だった。
今日、5月15日。
あの頃の15日は、こういう日だった。
おわりに
昭和52年5月15日に二人の編集者が作り上げたあの雑誌は、昭和の小学生の「バイブル」になった。
そして今日、2026年の5月15日発売のコロコロコミック2026年6月号では、長年再掲載されてきた「藤子・F・不二雄名作劇場 ドラえもん」の連載が終了した。新作ではなく過去の名作の再掲載コーナーの終了ではあるが、一つの時代が静かに幕を下ろした気がする。
毎月15日を指折り数えて待っていた、あの頃の自分に教えてあげたい。
あの雑誌は半世紀近く、ずっと続いたよ、と。